株式会社極東書店トップ > 商品一覧 > Department of Justice Classified Subject Files on Civil Rights, 1914 - 1949 . RG60, Department of Justice, General Records, Entry 112-B, Straight Numerical Files, #158260, Boxes 1276 - 1293, NARA, College Park, Maryland. 35mm silver positive microfilm 19 reels with guide.
商品詳細
Department of Justice Classified Subject Files on Civil Rights, 1914 - 1949 . RG60, Department of Justice, General Records, Entry 112-B, Straight Numerical Files, #158260, Boxes 1276 - 1293, NARA, College Park, Maryland. 35mm silver positive microfilm 19 reels with guide. 米国司法省機密資料 市民的権利主題別ファイル 1914~1949年
・ISBN 978-0-88692-765-3 microfilm
絶版
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★★★
| 出版社 | (UPA, US) |
|---|---|
| 出版年月 | 2007 |
| 言語 | ENG |
| ニュース番号 | <568-3070> |
解説
本資料集は、米国国立公文書館の司法省機密資料をマイクロフィルム化したもので、20世紀後半のアフリカ系アメリカ人・白人双方の市民的権利に関する考え方を垣間見せてくれる資料です。収録資料の中心は、リンチの実態に関する大統領への投書や法律の枠を超えてアフリカ系に加えられた「刑罰」への抗議文です。投書中に散見されるのは、リンチ捜査、報道、NAACP(全米黒人向上協会)の議事録、個人的な苦情の手紙、新聞切り抜き、反リンチ法案に関するメモなどの雑記類です。
本資料集最大の特色は、反リンチ立法への大統領の支持を求める投書やリンチの抗議のために書かれた大統領宛の投書の山です。その大半は1930年代から40年代初期のもので、ちょうどローズヴェルトの政権期に当たります。彼の許には、エルクス友愛組合、フリーメーソン、フラタニティ、YWCA(キリスト教女子青年会)・YMCA(キリスト教青年会)、会衆派、NAACP、米国共産党などの個人や様々な組織から投書が殺到しました。しかし、彼は、概して沈黙していました。投書の多くは、連邦議会での反リンチ立法実現に向けた努力に関するものです。最初の試みは、1918年に連邦議会に提出されたDyer Billでした。この法案は、1922年に下院を通過後、上院の議事妨害に遭い挫折しました。同じことが1930年代のCostigan-Wagner An-ti-Lynching Billやその関連法案の審議の際にも繰り返されました。この法案は世論の支持があったにもかかわらず、上院で封じ込められました。同法案の支持を求めて、YWCAやNAACPのような団体が率先してキャンペーンを繰り広げました。このキャンペーンは盛り上がりを見せ、フロリダ州のMariannaで23歳のアフリカ系アメリカ人Claude Nealへの凶悪なリンチ事件によって後押しされました。
反リンチ法案の可決のみならず、アフリカ系アメリカ人に対する不当な裁判、例えばメリーランド州のG. Armwoodやアラバマ州のTuscaloosaのD. Pippen、A. T. Harden、E. Clarkなどの事件に関する書簡も収録されています。中でも、当時、アフリカ系アメリカ人の最大級の怒りを呼んだ冤罪事件は、アラバマ州スコッツボロのアフリカ系の少年9人に対して下された有罪判決でした。彼らは、電車に乗車中の白人女性に対して暴行した容疑で、無実の証拠があるにもかかわらず告訴され、1931年に8人が死刑、1人が無期懲役の実刑判決を受けました。国際労働者擁護連盟ILDや米国共産党が釈放の要求をしても、彼らは長期にわたって勾留されました。のちに死刑判決は覆り、1938年には9人中4人が釈放され、1950年までには、5人中4人が恩赦を受け、1人が逃亡しました。ローズヴェルトは、この事件に対しても無反応でした。こうした大統領の冷やかな姿勢に対して、市民や各種人権団体から苦情や批判が集中したのです。
本資料集最大の特色は、反リンチ立法への大統領の支持を求める投書やリンチの抗議のために書かれた大統領宛の投書の山です。その大半は1930年代から40年代初期のもので、ちょうどローズヴェルトの政権期に当たります。彼の許には、エルクス友愛組合、フリーメーソン、フラタニティ、YWCA(キリスト教女子青年会)・YMCA(キリスト教青年会)、会衆派、NAACP、米国共産党などの個人や様々な組織から投書が殺到しました。しかし、彼は、概して沈黙していました。投書の多くは、連邦議会での反リンチ立法実現に向けた努力に関するものです。最初の試みは、1918年に連邦議会に提出されたDyer Billでした。この法案は、1922年に下院を通過後、上院の議事妨害に遭い挫折しました。同じことが1930年代のCostigan-Wagner An-ti-Lynching Billやその関連法案の審議の際にも繰り返されました。この法案は世論の支持があったにもかかわらず、上院で封じ込められました。同法案の支持を求めて、YWCAやNAACPのような団体が率先してキャンペーンを繰り広げました。このキャンペーンは盛り上がりを見せ、フロリダ州のMariannaで23歳のアフリカ系アメリカ人Claude Nealへの凶悪なリンチ事件によって後押しされました。
反リンチ法案の可決のみならず、アフリカ系アメリカ人に対する不当な裁判、例えばメリーランド州のG. Armwoodやアラバマ州のTuscaloosaのD. Pippen、A. T. Harden、E. Clarkなどの事件に関する書簡も収録されています。中でも、当時、アフリカ系アメリカ人の最大級の怒りを呼んだ冤罪事件は、アラバマ州スコッツボロのアフリカ系の少年9人に対して下された有罪判決でした。彼らは、電車に乗車中の白人女性に対して暴行した容疑で、無実の証拠があるにもかかわらず告訴され、1931年に8人が死刑、1人が無期懲役の実刑判決を受けました。国際労働者擁護連盟ILDや米国共産党が釈放の要求をしても、彼らは長期にわたって勾留されました。のちに死刑判決は覆り、1938年には9人中4人が釈放され、1950年までには、5人中4人が恩赦を受け、1人が逃亡しました。ローズヴェルトは、この事件に対しても無反応でした。こうした大統領の冷やかな姿勢に対して、市民や各種人権団体から苦情や批判が集中したのです。