株式会社極東書店トップ > 商品一覧 > The Richard M. Nixon National Security Files, 1969 - 1974. : Nixon's 1972 Trip to China. 4 reels with guide.
商品詳細
解説
1972年2月、ニクソン大統領は中国を訪問し、戦後最初に訪中した米国大統領となりました。彼は、反共主義者であったにもかかわらず、意外にも中華人民共和国の指導者、毛沢東主席と周恩来首相と会談したのです。訪中日程の終わりの晩餐会で、ニクソンは「この1週間は世界を変えた1週間であった」と、中国の関係者に語っています。ニクソンは、訪中の計画を国家安全保障会議の専門家に委任しました。とりわけ、国家安全保障問題の大統領補佐官であったH.A.キッシンジャーに拠るところが大きかったと言われます。キッシンジャーは、1971年に、7月9~11日と10月20~26日の2回、中国を訪問しました。2度の訪中の間、彼と周恩来は、この歴史的対面の課題の多くを果たし、また翌年2月のニクソン大統領訪中の締めくくりとして、両国で共同宣言を発するために、その方針案の検討に必死でした。キッシンジャーは、1971年7月9日の周恩来との会談で、その趣旨を次のように説明しました。「我々は、中華人民共和国が、その功績、伝統、イデオロギー、国力ゆえに、米国と同等の立場にたって、アジアの平和と世界平和を脅かすあらゆる問題に参画しなければならないと考えています」と。この会談で、「台湾の地位」、「ヴェトナム戦争」、「対日関係」、「対ソ連関係」といった4つが最重要事項として確認されたのです。
まず、両国の前に台湾の問題が立ちはだかりました。キッシンジャーと周恩来は、7月と10月の会談の場で台湾問題について話し合いを重ねました。翌年2月のニクソン訪中の最終共同声明では、「一つの中国」、「台湾は中国の一部である」という原則が確認されたのです。第二に、ヴェトナム戦争の終結がニクソン政権の最重要課題の一つでした。周恩来との10月会談に臨んだキッシンジャーのメモ書きによれば、当初、周恩来が、ヴェトナム戦争での米国の「攻撃性」に批判的であり、「強硬な姿勢」を見せていました。しかし、会談最終日には、懐柔的な態度となり、ヴェトナム和平交渉の成功を期待するとキッシンジャーに伝えています。周恩来はまた、その場で、自ら北ヴェトナム政府と話し合いをもつことも示唆しました。これに対し、キッシンジャーは、ヴェトナム戦争の終結によって、米軍が台湾から撤退することになると応答しています。対日関係についても、米中間で議論されました。1972年2月24日の会談の最中、周恩来は、中国として、蒋介石と日本との間で調印された和平条約を認めないことを根拠に、日中両国が実際に、まだ、戦争状態にあるという見解を告白しました。キッシンジャーと周恩来は、1971年の会談で、かなりの時間を割いて、対日関係について議論しました。その席上で、周恩来は、日本の経済成長と軍事的野心の可能性について懸念を表明しました。それに対し、キッシンジャーは、米国が日本の軍事的増強を奨励せず、日米安保条約が日本の軍事成長を抑止する良い方策となりうることを強調し、説得を試みています。最後に、この時期、対ソ連関係が米中両国の関心の的となっていました。1972年6月27日のキッシンジャーの極秘メモで、彼は、ソ連に対する中国側の懸念の深刻さを伝えています。周恩来がソ連の歴史的な悪行を非難し、キッシンジャーもやはり、「不吉なソ連のテーマ」と題して、批判を加えています。
まず、両国の前に台湾の問題が立ちはだかりました。キッシンジャーと周恩来は、7月と10月の会談の場で台湾問題について話し合いを重ねました。翌年2月のニクソン訪中の最終共同声明では、「一つの中国」、「台湾は中国の一部である」という原則が確認されたのです。第二に、ヴェトナム戦争の終結がニクソン政権の最重要課題の一つでした。周恩来との10月会談に臨んだキッシンジャーのメモ書きによれば、当初、周恩来が、ヴェトナム戦争での米国の「攻撃性」に批判的であり、「強硬な姿勢」を見せていました。しかし、会談最終日には、懐柔的な態度となり、ヴェトナム和平交渉の成功を期待するとキッシンジャーに伝えています。周恩来はまた、その場で、自ら北ヴェトナム政府と話し合いをもつことも示唆しました。これに対し、キッシンジャーは、ヴェトナム戦争の終結によって、米軍が台湾から撤退することになると応答しています。対日関係についても、米中間で議論されました。1972年2月24日の会談の最中、周恩来は、中国として、蒋介石と日本との間で調印された和平条約を認めないことを根拠に、日中両国が実際に、まだ、戦争状態にあるという見解を告白しました。キッシンジャーと周恩来は、1971年の会談で、かなりの時間を割いて、対日関係について議論しました。その席上で、周恩来は、日本の経済成長と軍事的野心の可能性について懸念を表明しました。それに対し、キッシンジャーは、米国が日本の軍事的増強を奨励せず、日米安保条約が日本の軍事成長を抑止する良い方策となりうることを強調し、説得を試みています。最後に、この時期、対ソ連関係が米中両国の関心の的となっていました。1972年6月27日のキッシンジャーの極秘メモで、彼は、ソ連に対する中国側の懸念の深刻さを伝えています。周恩来がソ連の歴史的な悪行を非難し、キッシンジャーもやはり、「不吉なソ連のテーマ」と題して、批判を加えています。