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L’Affaire Dreyfus: son influence dans la création de la France moderne (The Dreyfus Affair in the Making of Modern France)


ドレフュス事件関係文書

◆普仏戦争敗戦後の第三共和政フランスにおける冤罪事件

 1894年、フランスの軍事情報がドイツ軍に流出した事件が発生し、捜査の結果、参謀本部のアルフレッド・ドレフュス将校が容疑者として逮捕され、スパイ容疑で軍法会議にかけられました。ドレフュスはフランス東部のアルザス出身のユダヤ人でした。当時、反ユダヤ人感情が社会に蔓延していたところに、四半世紀前の普仏戦争によってドイツに併合されたアルザス出身であったことがドレフュス犯人説に信憑性を与えた結果、当人は否認したにもかかわらず、ドレフュスは有罪宣告を受け、南米のディアブル(悪魔)島に流刑の身となりました。その後、軍部内に真犯人がいることが判明、再審を請求する声が起こりますが、軍部は冤罪を認めようとしません。しかし、1898年、作家のエミール・ゾラが「私は弾劾する」との大統領宛公開書簡を『オーロール』紙に掲載するに及び、国論は再審を要求するドレフュス派と再審に反対する反ドレフュス派に真っ二つに割れ、軍事情報流出事件は作家、学者、政治家、思想家、教会関係者らを巻き込んだ一大事件へと発展しました。再審請求の声に押される形で1899年、再審が行われたものの、再びドレフュス有罪との判決が下されました。この判決に対してはフランス内外で批判が巻き起こり、大統領によってドレフュスに恩赦を与えることで政治的決着が図られました。ドレフュスに無罪判決が下されたのは事件発生から12年後の1906年のことです。事件発生の年に極右団体「アクション・フランセーズ」が創設されるなど、事件はナショナリズムや反ユダヤ主義を一定の政治勢力化することに寄与しただけでなく、左派陣営の政界再編にも影響を及ぼしました。また、作家ゾラの行動を契機に「知識人」という言葉が誕生したことに象徴される通り、20世紀に本格化する知識人の時代の幕開けを告げたのもドレフュス事件です。ドレフュス事件は、様々な意味で20世紀の原点として歴史的に位置づけることができます。

 本コレクションは、ハーバード大学ホートン図書館が所蔵するドレフュス事件関係資料約600点を電子化して提供します。テキストはOCR処理が施されているため、全文検索が可能な電子リソースです。収録資料はアルフレッド・ドレフュス自身の著作や書簡、ドレフュス派と反ドレフュス派の著作、裁判関係資料の他、図版資料や事件を題材にした文学作品、イギリス、ドイツ、イタリアなどフランス国外の資料など、ドレフュス事件がフランス国内外に大きな影響力を及ぼしたことを示します。フランス近代史はもちろん、ナショナリズムや反ユダヤ主義の歴史、知識人の歴史に関心をもつすべての人々にお薦めいたします。

※本コレクションはPrimary Source Media刊行のマイクロフィルム版The Dreyfus Affair in the Making of Modern Franceをデジタル化したものです

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