◆東西分割占領期の東ドイツの経済・社会事情
第二次大戦の終結後、敗戦国ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4ヶ国によって分割占領されました。敗戦3年後の1948年、自由主義陣営のアメリカ、イギリス、フランスが各々の占領地域を統一し、国家を創設することに合意すると、ソ連も占領地域に臨時政府を形成、1949年10月7日にドイツ人民共和国(東ドイツ)が建国されました。東ドイツはソ連共産党をモデルにした社会主義統一党(SED)の一党独裁体制の下で、マルクス・レーニン主義を国是とし、五ヶ年計画と農業集団化を軸とする中央集権的な計画経済を推進しました。社会主義統一党のヴァルター・ウルブリヒト第一書記は中央集権化を強力に推進し、スターリンの死後、ソ連がスターリン批判を行なう段階に至ってもなお、強権的なスターリン主義路線を堅持したため、不満を抱いた労働者や農民によるデモが各地で発生し、大量の労働者や農民が西側へ脱出しました。西側への脱出者はベルリンの壁が築かれる1961年までに250万人に及びました。このような状況の中で、1960年代になるとSED指導部は中央集権化の見直しを迫られ、企業や個人に一定の決定権を委ねる分権的な新経済政策を採用します。
本コレクションは、ドイツ人民共和国建国の翌年から1963年までの13年間に及び、米国外交官が記録した文書を収録します。1974年までアメリカは東ドイツとの間に正式な外交関係を持っていなかったため、本コレクションに収録される文書は、東ドイツの中にあってドイツ連邦共和国(西ドイツ)の一部をなしていたベルリン(西ベルリン)やボン、フランクフルト、ブレーメンなどの西ドイツ諸都市、さらにはモスクワなどに駐在する外交官と国務省との間で交わされた外交文書を収録します。
※本コレクションはScholarly Resources刊行のマイクロフィルムRecords of the Department of State Relating to the Internal Affairs of East Germany, 1950-1954, 1955-1959, 1960-1963をデジタル化したものです
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