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Czechoslovakia from Liberation to Communist State, 1945-63: Records of the U.S. State Department Classified Files.


チェコスロヴァキアの国内事情 1945-1963年

◆第二次大戦末期の第三共和国から共産党一党独裁体制へ

 1945年4月に成立した第三共和国では、チェコスロヴァキア共産党、チェコスロヴァキア社会民主党、チェコスロヴァキア国民社会主義党の社会主義三党が連立政権を担いました。第二次大戦前のミュンヘン会談で対独融和政策を取った西欧諸国に失望していた国民は、ソ連の解放軍を熱烈に歓迎し、これがその後の共産党の躍進にも、ソ連との同盟を推進する政策にも有利に働きました。1945年5月から1年間で、共産党は党員数を27,000人から110万人以上に拡大することに成功します。

 1946年5月の選挙で共産党は38%の得票率を獲得し、内務、財政等の重要な政府のポストを掌握します。大統領には国民社会主義党のエドヴァルド・ベネシュ(Edvard Beneš)が、首相には共産党のクレメント・ゴットワルト(Klement Gottwald)が就任しました。共産党は反対する政党を抑圧し、党員を政権の中枢に据え、政権奪取の基礎固めを行ないました。1947年、米国のマーシャルプランの準備会議に参加をするとした政府にソ連が反対した好機を捉えて、共産党は攻勢に出ます。反政府のクーデタが計画されているとの風説を流布し、共産党員が掌握する内務省は治安警察を粛清し、共産党員で入れ替えます。政権が危機に瀕する中にあって、非共産党系の12人の閣僚が辞表を提出、ベネシュ大統領はゴットワルト首相の提出した閣僚名簿を受け入れ、ここに共産党による政権奪取は成功しました。

 新政権は人民民主主義を宣言し、ゴットワルトが大統領に就任し、共産党による一党独裁体制が成立しました。対立する党派は粛清され、マルクス・レーニン主義と社会主義リアリズムが文化と知的生活全般に行き渡りました。私有財産は廃止され、中央集権的な計画経済が導入されます。1950年代、共産党幹部のスターリン主義者は党内の反対派を権力の座から追い落とすために、人民共和国の転覆を試みる陰謀の廉で告発し、多くの共産党員が逮捕され、公開裁判で裁かれました。

 1950年代は経済が比較的順調に推移したため、スターリン死後の非スターリン化の波は、他の東欧諸国に比べ遅れました。しかし、1960年代に入り、不況が深刻化し、経済成長率が東欧諸国の中でも最低の水準に落ち込むと、共産党は市場経済を一部で導入する新経済モデルを採用しました。

 本コレクションは、米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わしたチェコスロヴァキアの政治、経済、社会、軍事動向に関する往復書簡です。往復書簡の他に、国務省スタッフが用意した報告書や覚書、国務省と外国政府との交信記録、国務省以外の省庁、民間企業、個人との往復書簡も収録されています。本コレクションは1945年から1963年までの文書を収録します。

※本コレクションは以下のNARAマイクロフィルム資料をデジタル化したものです

Records of the Department of State Relating to the Internal Affairs of Czechoslovakia, 1945-1963

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