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Fight for Racial Justice and the Civil Rights Congress.


公民権会議と人種的正義のための闘い

◆ニューヨーク公共図書館ションバーグ黒人文化研究センターが所蔵する文書をデジタル化

 公民権会議は、労働者、黒人、ユダヤ人等、人種的、政治的、宗教的、民族的マイノリティに対する差別と闘うことを目的として、国際労働擁護同盟(International Labor Defense)、全国黒人会議(National Negro Congress)、全国憲法上の自由連合(National Federation for Constitutional Liberties)の共産党系3団体が合併する形で1946年に創設されました。公民権会議の運動は法廷闘争と大衆運動を2本柱とし、1950年代から1960年代にかけて公民権運動の活動家が採用した戦術の多くを先取りするものでした。法廷闘争では反共的性格の強いスミス法(1940年)やマッカラン法(1950年)の撤廃を試み、大衆運動では世論を誘導し大衆動員を行ないました。様々な裁判を通して、公民権会議の存在は広く知られるようになります。白人男性から性的迫害を受けた黒人女性の息子が母親を守るために白人男性を殺害し有罪判決を受けたローザ・リー・グラハム事件では、国連に嘆願書を提出し、10万人の署名を携えて司法省やホワイトハウスを動かし、7年後に親子を釈放させることに成功、バージニア州マーティンスヴィルの黒人少年7人が白人女性をレイプしたことで死刑に処せられたマーティンスヴィルの7人事件では、アメリカの裁判制度における人種差別の存在を米国内外に訴えました。また、エメット・ティルのリンチ殺人事件では、事件を広く世に知らしめ、容疑者を告発するよう捜査当局に圧力をかけました。さらに、アジア・アフリカの植民地が独立を達成する脱植民地化時代にあって、アメリカの人種差別をその外交政策と結び付け、米国内の人種問題を国際問題として捉える視座を持っていたことも特筆すべきことです。この点は、事務局長のウィリアム・パターソンがその記念碑的研究「我々はジェノサイドを告発する(We Charge Genocide)」を国連総会に提出したことに最もよく表れています。

 公民権会議は、公民権擁護では本来共闘すべき全国黒人向上協会(NAACP)やアメリカ自由人権協会(ACLU)と対立関係に入ることもありました。KKKや人種差別主義者の言論の自由を巡っては、これを擁護すべきとするACLUと対立し、黒人の大義と共産党の大義のいずれを優先すべきかという問題を巡っては、公民権会議内部で対立が生じました。1950年代半ば、マッカーシズムが吹き荒れる中で、司法長官や下院非米活動委員会から反体制的との烙印を押され、会員が相次いで政府から訴追され多くの訴訟を抱えた公民権会議は、1956年に破壊活動規制員会から「アメリカ共産党の実質的支配下にある」と結論付けられるに及び、解散に追い込まれ、10年の活動に幕を下ろしました。公民権会議の代表的な指導者としては、ウィリアム・パターソンの他、俳優や歌手として活躍したポール・ロブソン、著名な推理作家ダシール・ハメットらがいます。

 本コレクションは、ニューヨーク公共図書館のションバーグ黒人文化研究センターが所蔵する公民権会議関係の文書を電子化して提供するものです。収録文書は、裁判関係文書を含むニューヨーク本部関係ファイル、ウィリアム・パターソン事務局長の書簡ファイル、公民権会議自身の出版物や外部から受け取った出版物のファイル、全米各地の支部のファイル、アメリカ共産党ニューヨーク支部ファイル等で構成されています。

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