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Jewish Underground Resistance: The David Diamant Collection.


第二次大戦期フランスにおける ユダヤ人地下レジスタンス運動資料集成

◆ユダヤ人の共産主義者としてレジスタンス運動に身を投じたディアマンが収集した一次資料群をデジタル化

 第二次大戦開戦の翌年、フランスはドイツ軍の攻撃を受け、1940年6月にパリが陥落、休戦協定が結ばれ、フランス全土はドイツ国境地帯の「併合地区」、北部の「占領地区」、南部の「自由地区」に三分され、国名を「フランス共和国」から「フランス国」に変更し、第一次大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥を国家主席とする新政府がフランス中部のヴィシーに成立しました。敗戦の原因を第三共和政の政治体制に求めたヴィシー政権は、伝統主義的手法による国家の刷新を行なう一方で、対独協力(コルボラシオン)を政策として掲げました。ヴィシー政府は自発的にナチス・ドイツに協力し、1940年10月には反ユダヤ人法を成立させ、ユダヤ人迫害政策を推進します。反ユダヤ人法により、ユダヤ人は市民権を剥奪され、財産を没収され、強制収容所に送られました。このような状況の中で、フランス国内のユダヤ人はレジスタンス運動に立ち上がります。第二次大戦期のフランス国内のレジスタンス運動は様々な団体により繰り広げられましたが、中でもユダヤ人は積極的に参加しました。フランスの総人口に占めるユダヤ人の比率は1%に過ぎなかったにも関わらず、レジスタンス運動の活動家に占めるユダヤ人の比率は15%から20%に達しました。その中には亡命者も含まれていました。デヴィッド・ディアマンも、レジスタンス運動に参加したユダヤ人です。デヴィッド・アーリック(David Erlich)を本名とするディアマンは、1903年にポーランドのフルビエシュフに生まれ、1920年代にフランスに移住します。第二次大戦中はユダヤ人の共産主義者としてレジスタンス運動に身を投じしました。戦後は「レジスタンスと相互扶助のためのユダヤ人連合(L’Union des Juifs pour la Résistance et l’Entraide, UJRE)」に関わり、一次資料の収集や執筆活動や出版活動を通してユダヤ人のレジスタンス運動の記録を残すことに生涯を捧げ、1994年パリで亡くなりました。

 本コレクションは、レジスタンス運動のユダヤ人組織と関わりを持った期間にディアマンが収集した一次資料群を電子化したもので、文書の多くは共産党系組織に由来します。文書の大半はフランス語ですが、イディッシュ語の文書も含まれています。

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