◆社会主義チトー政権下で産業社会国家に転身したユーゴスラヴィアの戦後情勢の記録
本資料は米国国立公文書館が所蔵する国務省文書のうち、1945年から1963年までのユーゴスラヴィアの国内事情に関する機密報告書を収録したものです。米国国務省からの各種指令や同地域に身を置く米国外交員・領事館員による報告書や公文、覚書の他に、国務省と諸外国政府との通信記録、米国内の別の省や民間企業、個人との書簡のやりとりに至るまでを網羅しています。第二次世界大戦以後、ユーゴスラヴィアの社会主義的独裁地位に就いた時の首相チトー(1953年以後80年まで大統領)は、ソ連に与することなく、1948年にコミンフォルムから除名されたことを皮切りにスターリンとは決別する道を選びます。ユーゴスラヴィアは対ソを念頭に置いた米国のマーシャル・プランを受け入れる姿勢を見せると共に、1955年の東欧諸国から成るワルシャワ条約機構にも加盟せず、独自の社会主義路線を突き進みました。
1960年には、表面化した中ソ論争の中で、ユーゴスラヴィアは中国から「フルシチョフ修正主義」の代役とされ罵倒を浴びることになりましたが、それにつれてソ連圏諸国との関係改善がすすみ1961年ソ連をはじめ東欧諸国との長期通商協定を結び、1962年末のチトー大統領の訪ソ、1963年夏のフルシチョフのユーゴ訪問となります。1961年秋にはベオグラードで第一回非同盟諸国首脳会議を開催し、チトーは非同盟諸国の指導者の地位に立ちました。本コレクションは、ユーゴスラヴィアの政治、経済、軍事、社会、文化その他国内の諸状況や出来事に関連した多岐に渡るトピックを取扱っており、社会主義のチトー政権下において、ユーゴスラヴィアが戦後一農業国から産業社会国家へ転身を遂げた過程を貴重な一次資料という視点から辿っていくことを可能にいたします。
※本コレクションはScholarly Resources刊行のマイクロフィルムRecords of the Department of State relating to Internal Affairs: Yugoslavia, 1945-63をデジタル化したものです
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