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Northern Ireland: A Divided Community 1921-1972.


北アイルランド自治政府内閣閣議関係文書集

◆自治政府の下で統治されていた約50年間にわたる政府閣議関係文書をデジタル化

 本コレクションは北アイルランド公文書館(Public Record Office of Northern Ireland, PRONI)が所蔵する北アイルランド自治政府の閣議決定文書(Cabinet Conclusion Files, PRONI Reference CAB/4)を収録します。北アイルランドが議会を持ち、自治政府の下で統治されていた約50年間にわたる政府閣議関係文書を包括的に収録するものであり、この時期の北アイルランド自治政府の下での統治の実態を解明する貴重な資料群です。
 閣議決定文書は議題、覚書、書簡等で構成されています。閣議に上げられる事項はあらかじめ覚書の回覧の形で提起され、議題の中で通知されます。口頭で議題を提起したい閣僚は、首相と他の閣僚にあらかじめ通知することが求められました。
 1920年のロイド=ジョージ政権下でアイルランド統治法(Government of Ireland Act)が成立し、アイルランドは連合王国を構成する北部(北アイルランド)と連合王国から独立した南部に分離し、南北各々が議会を持つことになりました。1920年アイルランド統治法では、北アイルランドは二院制の議会(1932年以降はストーモント城に置かれたためストーモント議会と呼ばれた)を持ち、立法府としての権限が連合王国のウェストミンスター議会から北アイルランド議会に委譲される一方で、王位、軍隊、外交、貿易、税制等は除外事項としてウェストミンスター議会が保持し、郵便や主要歳入源は南北統一が実現するまでの期間、ウェストミンスター議会が一時的に預かる保留事項と規定されました。1921年5月に実施された最初の選挙では、連合王国との統合を党是とするジェイムズ・クレイグ率いるプロテスタント系のアルスター統一党(Ulster Unionist Party, UUP)が52議席のうち40議席を獲得し第一党になりました。以後、北アイルランドではアルスター統一党を支配政党とする政治体制の下で、カトリック系住民が政治的、社会的に差別される構造が固定化されることになりました。
 1960年代、公民権運動が世界的な広がりを見せる中で、カトリック系住民に対する差別撤廃を求める大衆運動が発生し、プロテスタント系住民とカトリック系住民の対立が激化する中、1972年、デモ隊に英国軍が発砲し、多数の死傷者を出す血の日曜日事件が発生します。この事件を契機に事態が悪化の一途を辿るのを見た英国政府は北アイルランド議会を停止し、北アイルランドの直接統治に乗り出しました。1921年以来続いた北アイルランド議会は1973年北アイルランド統治法(Northern Ireland Constitution Act of 1973)によって正式に廃止されました。
※本コレクションはマイクロフィルム版Modern Ireland: Cabinet Papers of the Stormont Administration 1921-1972をデジタル化したものです

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