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Finland: Records of the U.S. Department of State Relating to Internal Affairs, 1950-1954.


フィンランドの国内事情 1950-1954年

◆パーシヴィキ、ケッコネン両政権の対ソ友好政策の下で独自の中立政策を追求

 第二次大戦末期のドイツとのラップランド戦争は、ドイツへの政治的依存を通してフィンランドの独立を確保するという、それまでのフィンランドの外交・安全保障政策を根本的に転換させる契機となりました。その後のフィンランドは、対ソ連友好政策へ方針転換します。この政策を推進した第7代大統領ユホ・クスティ・パーシキヴィ(Juho Paasikivi, 大統領在位 1946年-1956年)と第8代大統領ウルホ・ケッコネン(Urho Kekkonen, 大統領在位 1956年-1982年)の名前を取り、「パーシキヴィ=ケッコネン路線」と称される外交政策は、1947年のパリ講話条約と1948年のモスクワ友好協力相互援助条約において明文化され、以後1991年のソ連崩壊まで継続されることになります。

 内政面に眼を向けると、第二次大戦の終焉はフィンランドに新たな試練を課します。ソ連が主導する連合国管理委員会の監視の下、フィンランドの軍隊は武装解除を迫られ、戦時中の指導的政治家は刑事訴追されました。また、ソ連に割譲した地域からの42万人に及ぶ人々の定住先を確保するという政治課題にも取り組まなければなりませんでした。これに加えて、ソ連への賠償金の支払い、ソ連との外交を考慮して米国のマーシャルプランへの参加を見送ったこと、これらの事情が再建の道をより困難なものにしました。しかし、早期に戦争から離脱したこと、他国の占領を免れたこと、民間の犠牲者が極めて少なかったこと、物的な戦争の被害が少なかったこと、これらの事情が幸いして、フィンランドは1948年までに生産水準を戦前の水準にまで回復させることに成功しました。以後、フィンランドは近代化のプロセスを進みます。

 本コレクションは、米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わしたフィンランドの政治、経済、社会、軍事動向に関する往復書簡です。往復書簡の他に、国務省スタッフが用意した報告書や覚書、国務省と外国政府との交信記録、国務省以外の省庁、民間企業、個人との往復書簡も収録されています。米国は第二次大戦後の1947年から1963年まで、アイラ・M・ウォーレン(Ayra M. Warren)、ジョン・M・カボット(John M. Cabot)、ジャック・K・マクフォール(Jack K. McFall)、ジョン・D・ヒッカーソン(John D. Hickerson)、エドソン・O・セッションズ(Edson O. Sessions)、バーナード・ガフラー(Bernard Gufler)が公使や大使を務めました。本コレクションは、1945年から1963年まで、パーシキヴィ政権からケッコネン政権の初期までの18年間に亘る文書を収録します。

※本コレクションは以下のNARAマイクロフィルム資料をデジタル化したものです

※「フィンランドの国内事情 1945-1963年」シリーズ共通の商品紹介文となっております。

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