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Iran (Persia): Records of the U.S. Department of State, 1883-1959.


イラン(ペルシャ):1883-1959年

◆英国の保護下にあったイランでの民族意識の高まり

 ペルシャ国内は18世紀以来、ロシアの南下政策に圧迫される一方で東からはインドを支配する英国からも圧迫され、混乱が続いてきました。1907年の英露協商ではペルシャをめぐる分割計画さえ協定されました。第一次世界大戦では中立宣言をしたにも関わらず、英・露連合軍とドイツ・トルコ同盟軍が侵入し、国土は戦場と化し、戦後には英国の保護国化の策謀とソ連赤軍の侵入を受けました。1923年、レザー・シャー・パフラディー(1878-1944)の下で新国家をつくり、1935年に国号をイラン王国とします。第二次大戦においても中立はままならず、英国・ソ連と三国同盟を締結して危機を乗り越えました。戦後、民族意識の高まったイランでは1951には石油国有化が宣言され、その後国王の推進する脱イスラーム化・近代化と反対派弾圧に対して全土で暴動が広がり、後の王制崩壊とホメイニ師を指導者とするイスラーム共和国の成立につながっていきました。

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