◆第二次大戦末期から1949年までのインドシナ情勢と米国外交政策の推移
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)のセントラル・ファイルの中から、米国国務省のヴェトナム国内事情に関する外交文書約10,700ページを電子化して提供するものです。収録文書はサイゴン、ハノイ、バンコク、パリ等、米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡、訓令、国務省内部文書、国務省が他の連邦省庁、議会、個人、団体との間で交わした書簡等を収録します。
第二次大戦中、日本軍の統治下に置かれていたインドシナは、日本降伏後、北緯16度以北は中国国民党の、北緯16度以南は東南アジア連合軍の軍事管轄権の下に置かれることがポツダム会談で合意されました。この合意に基づき、1945年8月の日本の無条件降伏後、蘆漢将軍率いる中国国民党軍が北緯16度以北のインドシナに進駐します。北緯16度以南では、東南アジア連合軍の支援を受ける形で、フランスが仏領インドシナ植民地の再建に乗り出します。
しかし、1945年9月にホー・チ・ミン率いるヴェトナム独立同盟(ベトミン)がヴェトナム民主共和国の建国を宣言し、北部を中心に新しい政治勢力としてフランスの植民地再建の前に立ちはだかり、両国の間で武力衝突が発生します。中国国民党は当初、ヴェトナム国民党(VNQDD)を通してインドシナでの影響力拡大に努めますが、フランス軍がインドシナ北部への進軍を計画する中、フランスが中国国内の権益を放棄するのと引き換えに、北緯16度以北の軍事管轄権をフランスに移管することに合意し、1946年3月にインドシナ北部から撤退します。一方、フランスはヴェトナム民主共和国との間で、フランス連合内での独立を承認する暫定合意を結びます。しかし、その後の交渉は進まず、1946年12月に両国は全面的な武力衝突に突入し、1954年のジュネーヴ協定締結まで戦争が続きます(第一次インドシナ戦争)。
アメリカはフランスによるインドシナ植民地再建には反対し、第二次大戦中はインドシナにおける信託統治を構想していましたが、戦後冷戦が本格化し、共産主義のインドシナへの波及を阻止するという名目の下、フランス植民地再建の試みに妥協することになりました。1945年1月から1949年12月までの文書を収録する本コレクションは、第二次大戦末期から1949年までの5年間に亘るインドシナ情勢と米国外交政策の推移を明らかにします。
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