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China: Records of the U.S. Department of State, 1940-1944.


米国国務省文書セントラルファイル:中国の国内事情 1940-1944年

◆米国国務省文書にみる当時の政治・経済・社会事情:戦時中の米国と中国の関係

 独立戦争終結の翌年1784年、$18,000相当の銀貨と、漢方薬の原料を積んだボストンの新造船The Empress of China号は、独立宣言のコピーを携えたサミュエル・ショウ少佐を船荷監督人として、広州に入港しました。ここに世界で最も新しい国アメリカ合衆国と老大国清朝(中国)は通商関係を結ぶこととなりました。

 それから60年後、1844年にアメリカ合衆国と清朝は正式な外交関係を樹立します。広東領事館(1786)から始まり、福州(1844)、上海とマカオ(1847)、寧波(1853)、天津(1871)大連(1904)など、活発な通商活動を反映して、米国領事館は主要な商業都市に設立されていきます。また、北京には1862年に米国公使館を設立、清朝末期からの政治的混乱をへて、1935年に北京公使館は大使館へと格上げされます。新生中華民国政府との関係を強化するため、1928年には南京に副大使館を設立しています。

 日中戦争期(1937-1941)も、アメリカは北京に正式な外交団を維持します。しかしながら大使自身は国民党政府と行動を共にし、漢口(1937)、重慶(1938)と移動、1941年に北京が日本軍に陥落した後は、米国大使館も重慶に移動します。日本の敗戦に伴い、1946年に南京に移動した米国大使館は、国共内戦の影響で1949年には広州から重慶へ、そして国民党政府とともに台北に移っていきます。

 激動の時代の中、これらの公使・大使館、領事館では、駐在の外交官・領事員たちが本国から送られた指令を受け取り、報告書を送り続けていました。米国国務省は在外公館からの報告書などを通じて外交関係のある各国の様々な情報を入手し、対外政策に活用する一次資料としてきました。Archives Unboundでは、米国国務省セントラルファイルに収録される1930年からの抗日戦争期および国共内戦を経て中華人民共和国が成立する1949年までの中国の国内事情についての資料をデジタル化して提供いたします。

 

 第二次世界大戦下の中国が本コレクションの焦点となります。収録されている文書は、米国商工会議所上海支部からの通信(1940年9月)、米国が参戦する以前の中国における米国の新聞社の保護を求める論議;国務次官Sumner Wellsへの手紙、「アメリカとイギリスの政策と外国人についての…日本に操作されているマスコミによる否定的なコメント」について言及した文書(1941年6月)米国公使Everett F Drumrightの通信(1942年8月);外交文書を装って重慶の大使館から送られてきた「中国共産党出版物」(1943年6月)などの、興味深い文書があります。含まれている話題は中国の軍事的立場と米国の軍事援助に重心を置いた米中の戦争中の関係、軍事作戦の米軍による分析、国共関係と交渉に関する米国の興味、中国への技術的援助と米国と中国の間にさらなる文化的協力を育成する試みについてなどです。

※本コレクションはScholarly Resources刊行のマイクロフィルムRecords of the U.S. Department of State Relating to Internal Affairs of China, 1940-1944をデジタル化したものです

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