◆戦後米国が実施した国共内戦期中国への経済支援
米国国務長官ジョージ・マーシャルは1947年6月のハーバード大学講演で、第二次大戦で疲弊したヨーロッパ諸国の経済的復興を支援する欧州復興計画(通称マーシャル・プラン)を提唱しました。これを受けて、西ヨーロッパ16ヶ国は、支援受け入れ調整機関として欧州経済協力委員会(Committee of European Economic Cooperation, CEEC)を設立し、支援側の米国では経済協力局が復興支援を運営する機関として定められました。マーシャル・プランの果たした役割が大きかったため、戦後米国が実施した経済支援は対欧州経済支援に注目が集められてきましたが、経済協力局は、欧州復興支援だけでなく、対中国経済支援も運営しました。しかし、冷戦の幕が切って落とされたばかりの時代にあって、国共内戦の最中の中国へ経済支援を行なうことは政治的に容易なことではありませんでした。
本コレクションは、このような困難な状況にあって、経済協力局の高官が米中関係の改善のために、どのように経済的、文化的機会を模索したかを明らかにします。米中経済関係を損なわないために、中国共産党への友好的経済政策を追求するよう、経済協力局が国務省に求めていること、国務省やホワイトハウスが反対する中にあって、経済協力局が米国の財界の意見を代表するものであったこと、ジョージ・マーシャルの中国訪問が、対中国経済政策を政治問題化することに失敗したこと等の事情を明らかにする文書の他、経済復興局による対中国支援実施の有効性、対外援助法第4編の中国援助法に関する情報が収録されています。
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