◆FBI文書を通して見る第二次大戦期の参戦反対派の有力団体
アメリカ第一委員会(The America First Committee, AFC)は第二次大戦にアメリカが参戦するのを阻止することを目的として、戦争勃発の翌年、ナチスがフランスを制圧した直後の1940年9月に結成されました。AFCを創設したのはイエール大学ロースクールの学生、ダグラス・スチュアートです。スチュアートと友人は、欧州の戦争への介入が連邦政府の権限強化を齎し、建国以来の自由と民主主義を危機に陥れ、独裁政治を生む恐れがあると考え、欧州の政治には干渉しないという米国の伝統に立脚し、欧州の戦争への参戦に反対しました。独立革命や1812年の英米戦争等に由来するイギリスに対する歴史的な不信の感情も根底にありました。結成前の1940年6月に参加した共和党全国大会において、参戦反対論が出席者から好意的な反応を得たことに自信を持ったスチュアートは、父親が役員を務める会社の人脈を使って、退役軍人でシアーズ・ローバック社の経営者であるロバート・ウッドに会長への就任を打診し、快諾を得ました。
AFCはアメリカ国民に深く根を張る孤立主義の感情に訴えることに成功し、全米各地から支持者を集め、最盛期には会員数80万人を擁する団体に成長します。AFCの会員は参戦への反対のみを共通点とするだけで、平和主義者、徴兵年齢の若者、徴兵年齢の若者を子どもに持つ親もいれば、ローズヴェルト大統領とニューディール政策に反対する保守派もいれば、戦争がニューディール政策の遂行を妨げることを恐れたリベラルもいて、政治的な寄り合い所帯という様相を呈していました。問題含みだったのは、会員に親ナチス、親ファシズム、反ユダヤ主義者がいたことで、AFCは反ユダヤ主義の団体との非難に対して火消しに追われます。しかし、有力メンバーのチャールズ・リンドバーグがナチスのユダヤ人政策を支持し、映画産業、マスコミ、政府機関でユダヤ人が影響力を及ぼしていることに警鐘を鳴らすなど、反ユダヤ主義の発言を繰り返したため、反ユダヤ主義のレッテルを削ぎ落すことはできませんでした。参戦すべきか、参戦せざるべきかをめぐる論争自体は決着がつくことなく終わります。ローズヴェルト大統領と議会はドイツとの戦争へと慎重に国民を誘導したものの、国民の多くは積極的に賛成するのでも反対するのでもなく、揺れ動いていたのが実情です。多くの国民の気持ちが揺れ動いていた時、日本軍による真珠湾攻撃が発生しました。これにより、戦争に反対の声を上げることは大義に反するとの感情が一気に行き渡りました。この状況の中で参戦反対の論陣を張る余地がなくなったAFCは解散し、わずか1年3ヵ月の活動に幕を下ろしました。
アメリカ連邦捜査局(FBI)はAFCがファシストや共産主義者を会員としていることに注目し、AFCを捜査の対象としました。本コレクションは、AFCに関するFBIの捜査資料、押収資料、具体的には報告書、パンフレット、会員の演説文、書簡、プレスリリース、新聞の切抜き等を収録します。アメリカが参戦する直前に行われた参戦すべきかどうかをめぐる論争の資料、アメリカにおける戦争と民主主義の関係に関する資料として、恰好の資料集です。
※Scholarly Resources刊行の同名マイクロフィルムのデジタル化です
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