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Association Against the Prohibition Amendment (1920-53), a selection of materials from the Pierre S. du Pont Papers, Longwood Manuscripts, Group 10, File 1023. Edited by David E. Kyvig


禁酒法条項反対連盟・女性全国禁酒法改革協会文書集成

◆総合化学系財閥デュポン家の一族と関係者の個人文書

 米国では1919年の合衆国憲法修正第18条の成立により、酒の製造、販売、輸送が禁止されました。プロテスタント教会が主導する19世紀以来の道徳的禁酒運動を背景として成立した禁酒法には反対も多く、酒の密造、密輸入、密売が盛んになり、それに関わるマフィアが横行するなど、1920年代の米国を禁酒の時代と特徴づけるほど、禁酒は社会と文化の重要な争点となりました。

 禁酒法の問題を検討する場合、禁酒法に反対した人々に関する資料を逸することはできません。本データベースは、禁酒法撤廃運動の最前線にあった団体である禁酒法条項反対連盟(The Association against the Prohibition Amendment, AAPA)と女性全国禁酒法改革協会(Women's Organization for National Prohibition Reform, WONPR)の文書を電子化したものです。禁酒法条項反対連盟は1918年に創設され、1926年までに75万人の会員を擁する規模に拡大しました。連盟は1928年に禁酒法撤廃に向けた広報キャンペーンを開始しますが、このキャンペーンには翌年ポーリン・モートン・セイビンが創設し、全国の100万人の女性を禁酒法撤廃の大義の下に結集した女性全国禁酒法改革協会も参加しました。1933年に禁酒法が撤廃されると、反禁酒法団体は解散し、団体の記録は分散しました。

 本データベースに収録される文書は、総合化学系財閥デュポン家の一族と関係者の個人文書です。ピエール・S・デュポン(Pierre S. du Pont)とイレネ・デュポン(Irénée du Pont)のデュポン兄弟はデュポン社の経営に携わる傍ら、個人の自由を尊重し、政府の介入に反対する政治信条から、個人の権利を不当に侵害するものとして禁酒法反対運動に携わっていました。ピエールの妻、アリス・デュポンも運動に参加しました。ジョン・ラスコブ(John Raskob)はピエール・デュポンの右腕として、ゼネラル・モータース(GM)株の引受による同社との関係強化をリードした人物です。その後、政界に転身し、民主党全国委員会の委員長として、1932年の大統領選挙で禁酒法撤廃を民主党の方針として掲げることに尽力しました。AAPAの有力メンバーでもありました。AAPAの文書はデュポン兄弟とジョン・ラスコブの個人文書で、WONPRの文書はアリス・デュポンの個人文書です。これらの文書には書簡、覚書、財務記録、会員リスト、ロビー活動の記録、刊行物、プレスリリース等が収録されています。本データベースに収録される文書は、デラウェア州ウィルミントンにあるハグリー博物館・図書館(Hagley Museum and Library)のコレクションの一部です。デュポン社創業の地に設立されたハグリー博物館・図書館は、デュポン社関係資料をはじめ、アメリカの経営史、産業技術史関係では米国有数の文書館として知られています。

※本コレクションはマイクロフィルムPapers of the Association Against the Prohibition Amendment and the Women's Organization for National Prohibition Reformをデジタル化したものです

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