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東京市 『震災記念堂概要』 [1930年] 東京刊
An Outline of the Earthquake Memorial Temple. Tokyo, [1930]..

[在庫] ¥22,000.- (税込) *

著者・編者 Tokyo Municipality,
ニュース番号 <R21-292>

23x15cm, no pagination [4pp], small tear professionally repaired, stamped on the front cover
東京都慰霊堂は、大正12年(1923年)9月1日に発生した、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内(現在の23区の中心部)で最も被害の大きかった被服廠跡に、震災7年後の昭和5年(1930年)に完成しました。
当初は「震災記念堂」と名付けられ、横網町公園開園と同日の同年9月1日に落成式典が行われています。
設計にあたっては、公開コンペを実施するなど、先進的でしたが、さまざまな事情で結果として、コンペ1等案は採用されませんでした。この間に交わされた多くの議論の末、新たに設計を担当することとなった伊東忠太氏(工学博士)は、鉄筋コンクリート構造を採用しつつ、日本旧来の宗教的様式を現す建築とすることを基本としました。
しかし、外観は神社仏閣様式であるものの、納骨室のある三重塔は中国、インド風の様式を取り入れ、平面的には教会で見られるバシリカ様式(内部に列柱を設け空間を分ける)とし、内部の壁や天井にはアラベスク的紋様も採用されています。つぶさにみると多くの宗教的要素を取り入れた折衷的構成となっています。
完成以来、毎年9月1日をはじめ、慰霊の行事が行われてきました。
その後、太平洋戦争中の東京空襲で亡くなった方のご遺骨も慰霊塔に納められ、昭和26年(1951年)、名称を「東京都慰霊堂」と改めました。震災、戦災合わせて約163,000体の御遺骨が安置されています。
引用元: https://tokyoireikyoukai.or.jp/ireidou/history.html
最終アクセス:2021年12月10日