商品詳細

カーター政権期の移民-キューバ・ハイチ難民対策小委員会記録
Immigration during the Carter Administration: Records of the Cuban-Haitian Task Force. RG 220: Records of Temporary Committees, Commissions, and Boards, Records of the Cuban-Haitian Task Force, at the Jimmy Carter Library, Atlanta, Georgia. 35mm silver positive microfilm 44 reels with guide.

出版社 (UPA, US)
出版年 2008
ニュース番号 <K08-353>

PIN101803
本資料は、ジョージア州アトランタにあるJ.カーター大統領図書館所管の連邦政府記録をマイクロフィルム化したものです。緊急事態に対する連邦政府の対応の様々な局面を取り上げるために、連邦政府関係機関、議員事務所、私人、慈善団体等からのレポート、通信資料、備忘録、請願書、分析や、面会メモなどを多数収録し、移民・難民問題への公私にわたる米国政府の対応を示す不可欠な情報を提供します。
 東南アジアやラテンアメリカ、その他の第三世界の難民が米国に持続的に到着し、大量流入の危機に立たされたカーター政権は、効率的な難民業務の組織化を目指しました。1979年2月に合衆国難民業務調整局(The Office of U.S. Coordinator for Refugee Affairs)を設置し、元上院議員Dick Clarkを調整官に任命しました。彼は、政府関係機関の意見調整や、政府と自治体、各ボランティア団体との間の連絡役に努めました。彼は、制限された調整官としての権限、局内の予算不足・人員不足のために、その責任を十分に果たせぬまま、1979年10月に、失意のうちに職を去りました。一方、時を同じくして、1979年3月には包括的な難民法案が連邦議会に上程され、既存の立法との矛盾点が是正され、翌年、難民法が成立しました。同法は、1年間の難民入国許可数の上限を、17400人という水準から50000人まで飛躍的に引き上げる画期的なものでした。この2つの施策は、カーター政権下における難民の入国をより容易にすることを目論んだ政策でしたが、実際の再定住の問題に直接応えるものではなかったため、民間の慈善団体が、インドシナ難民の流入まで再定住の手助けをしてきたのです。中でも、比較的よく知られる団体は、Church World Service、The International Rescue Committee、The United States Catholic Conference、The Hebrew Immigrant Aid Societyです。にもかかわらず、1979年の秋に、教育水準の低く、米国文化への同化が困難と判断される難民の入国者数が急増し、こうした再定住の過程に歪みが生じました。
 突如として、南フロリダには、カストロに追放されたキューバ難民が大量に押し寄せ、1980年の秋までに、12万人を越え、同時に1万人以上のハイチ人も米国に入国したのです。このような大量の難民流入に対処しようとする連邦政府の努力は、難民の母語や文化をよく理解するスタッフの不足や、難民政策の矛盾、難民受入の明確な指針の欠如、政府関係機関の対立といった障害によって、なかなか効果を上げられませんでした。政府当局は、利用されていない軍事施設を難民に開放するに留まり、継続的な流入難民に即応できない無能さを露呈したのです。カーター大統領は、かかるキューバ人とハイチ人の大量流入より直結した政治問題の深刻化に鑑み、1980年7月に、キューバ・ハイチ難民対策小委員会を設置し、大量のキューバ人・ハイチ人の合衆国への入国措置と再定住化を徹底させました。同委員会は1981年6月の解散までに、亡命を認められたキューバ・ハイチ難民ほぼ全員の再定住の手続きを遂行し、不適格な人物の本国送還を指揮したのです。


・ISBN 978-0-88692-939-8 microfilm

お問い合わせ