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カーター政権期のラティーノの市民的権利
Latino Civil Rights during the Carter Administration. Jimmy Carter Library, Atlanta, Georgia, Records of the White House Office of Hispanic Affairs, 1979 - 1981. NARA. 35mm silver positive microfilm with guide.

出版社 (UPA, US)
ニュース番号 <K08-570>

1979年10月、メキシコ系アメリカ人法律擁護教育基金Mexican American Legal Defense and Educational Fund(以下MALDEF)は、カーター政権によるC.レンフリューの司法副長官の任命に反対する報道発表の中で、政権を痛烈に批判しました。なんとなれば、ラティーノが全国的に法律上の差別を受けてきたとは考えないという趣旨のレンフリューの発言に悩まされたからです。しかし、この発表より1ヶ月前の1979年9月にはすでに、カーター大統領は、メキシコ系アメリカ人のEsteban Torresを新設のホワイトハウス・ヒスパニック問題事務局の長に任じ、彼をしてMALDEFが提出する諸問題や、政府事業とラティーノ側の意見との調整などにあたらせていました。本資料は、1979年から1981年までのラティーノ人口の増加に対するカーター政権の雇用の創出と教育機会の是正を伝える資料で、歴史、政治学、社会学、ラティーノ研究者に不可欠な基礎資料として評価されるものです。
 1970年代後半に全米のラティーノを憤激させ、警察官の暴虐(police brutality)に対する反発のきっかけを作ったのはハニガン事件でした。1976年8月に、3人のメキシコ人が、アリゾナのダグラス近傍の米墨国境を不法に越境し、エルフリダでの農作業へ行く途中、国境パトロールをしていたジョージ・ハニガンと2人の息子に包囲され、彼らから暴力・拷問を受けました。この事件は、カーター政権前の事件でしたが、その裁判は何度も延期され、1977年9月まで開かれなかったのです。本資料は、ハニガン事件全国支援委員会National Coalition on the Hanigan Caseが提出したUnited States Commission on Civil Rightsへの報告書や司法省捜査の支持・連邦大陪審の召集を述べる連邦議会の議員の手紙などを収録します。
 こうしたラティーノに対する蔑視・差別や暴力が社会的に横行する一方、司法省は、ラティーノの市民的権利の擁護を制度面で補強しました。司法長官ベンジャミン・シヴィレッティはヒスパニック諮問委員会を設置し、全米の連邦検察局に市民的権利部を開設しました。こうした成果は、カーター政権の雇用政策にも現れました。1979年、58000人のラティーノが政府主催の雇用・職業教育事業に参加しました。1980年6月時点では、1976年12月より約100万人以上のラティーノが職を得て、彼らの雇用率が24%上昇しました。ホワイトハウス農業労働者会議White House Consultation on Farmworkersは、出稼ぎ労働者や季節労働者の必要性について言及し、政府内で初めてこの問題を取り上げました。また、本資料のTorresファイルは、青少年雇用タスク・フォースのレポートも収録し、その中の「危機に瀕した青少年の社会指標」と題した1980年10月のレポートは、白人若年層の高卒率が85%に対し、ラティーノ若年層のそれが55%に留まっている現状を指摘しています。そうしたなか、カーター政権は、バイリンガル教育を最優先項目の一つとして検討を始め、バイリンガル教育の予算を大幅に増額しました。現に、1981年予算では、バイリンガル教育事業に1億9000万ドルが計上され、1977年に比べ、31%の増加が見られました。さらに教育省のバイリンガル教育局は、地方学区の学生支援にあたり、教員教育と保護者カウンセリングのプロジェクトを立ち上げました。ほかにも、本資料は、選挙へのラティーノの参加、住宅取得機会、消費者教育、ラティーノの裁判官職や官僚への任官など幅広い情報を集めています。


Part 1: Series A - B: 58 reels. microfilm

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