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A.スミスのドイツへの受容で知られるリューダーの統計学への貢献 リューダー 『統計学・政治学批判』 初版 1812年 ゲッティンゲン刊
Kritik der Statistik und Politik, nebst einer Begrundung der politischen Philosophie. Gottingen, Vandenhoeck und Ruprecht, 1812.

著者・編者 Lueder, August Ferdinand, 1760-1819,
ニュース番号 <R23-211>

First edition. 8vo, xii, 531, [1]p., contemporary half calf
「リューダー(1760-1819)は,ドイツ社会統計学の系譜で異色の存在である。それは「リューダーの悲劇」に象徴される。ドイツ国状学の伝統を受け継ぎ,ジュースミルヒ,ビュッシングが担った政治算術の流れに警鐘を鳴らしながらも,旧態依然として時代から取り残された国状学への飽き足らなさを予感し,ついには統計学の存在そのものを否定するにいたったのがリューダーである。「リューダーの悲劇」は,このことを指している。リューダー自身は,アダム・スミスの信奉者でもあった。筆者はそのリューダーの思想をときほぐし,そこに彼が生きた時代と社会の反映を見ている。筆者が読み込んだリューダーの著作は,『統計学および政治学批判(ⅩⅨ)』(1812年)である。リューダーは統計学を統計学=国状学の牙城だったゲッチンゲン大学で学んだ。直接の師だったのはアッヘンワルの後継者であったA.L. シュレーツァーである(もっとも筆者は,リューダーがアッヘンワルやシュレーツァーの国状学をどう発展させたかは定かでない,としている)。また,筆者によれば,リューダーはおそくともゲッチンゲン大学を卒業して間もない時期にスミスの『諸国民の富』に接していた。あるいは,リューダーはシュレーツァーについて国状学を学んだのと併行して,スミスを学んでいたと言える。スミスの学徒として位置づけが決定的になったのは,1800-04年に出版された3巻の大著『国民産業と国家経済』(スミスの諸原理の解説書)によってであった。この書物が公刊された40歳ごろのリューダーは英仏の進歩的思想の摂取に努め,新しいドイツ的なものを生み出そうとした経済学者・統計学者であった。」 (松川七郎「A.F.Lueder の統計学批判について」、一橋大学『経済研究』第10巻第1号,1959年)、(統計学古典選集、高野岩三郎訳「リューダー統計学批判」)