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Johnson Presidency Administrative Histories: Foreign Affairs and National Security.


ジョンソン政権の省庁史プロジェクト:外交・安全保障篇

◆ジョンソン政権の外交・安全保障政策を明らかにする関係省庁の文書

 1950年代から60年代にかけて、アメリカは資本主義の黄金時代と言われるほどの空前の繁栄を謳歌する一方で、公共サービスは劣悪な状態にあり、数千万人に上る人々が貧困に喘ぐという状況が見られ、豊かさの中の貧困として知識人によって警鐘を鳴らされていました。ケネディ大統領の暗殺により副大統領から大統領に昇格したリンドン・ジョンソンは、経済的繁栄に止まらず、国民生活全般の質的向上を図ることを政権の課題として掲げました。大統領就任後の1964年初頭の教書演説で、貧困撲滅戦争(War on Poverty)を宣言、同年5月のミシガン大学での演説では「偉大な社会」(Great Society)計画の構想を打ち出しました。この年には、経済機会法が成立し、新たに創設された経済機会局が貧困撲滅戦争の中心機関としての役割を担うことになります。また公民権法が制定され、人種による職業差別と公共施設での人種隔離が法的に禁じられました。しかし、ジョンソン大統領のリベラル派としての本領は1964年の大統領選挙に勝利を収めた後に発揮されます。大統領選で地滑り的勝利を収めたジョンソン大統領は、議会でも民主党議員が多数を占め、安定的な政権運営を行なう基盤が到来した好機を逃さず、「偉大な社会」計画を実現するための法整備に乗り出します。1965年の第89議会では、87本の法案を矢継ぎ早に議会に提出し、そのうち84本が成立するという、アメリカ議会史上でも記録的な法案成立率を達成します。「偉大な社会」計画を実行するに当たっては、政権内に14のタスクフォースを立ち上げ、各界の専門家を委員に任命し、法案作成実務を委ねました。ジョンソン政権の時代は、ホワイトハウスの機能が強化され、政策立案に積極的に関与したホワイトハウスは、伝統的な省庁との間でパワーバランスに変化が生じました。ホワイトハウス主導の下、人権、経済、雇用、医療、福祉、教育、都市、住宅、環境、科学技術等の分野で法整備が進み、「偉大な社会」計画はローズヴェルト大統領のニューディール政策と並び称されるリベラル改革として歴史に名前を残すかに思われました。しかし、連邦政府の積極的な介入と政府機関の創設による政府の肥大化と政府支出の増大は、折からの北爆の開始を契機とするヴェトナムへの大規模な軍隊の派遣と戦争の泥沼化も相俟って、ジョンソン政権への批判を招き、ジョンソン大統領は1968年の大統領選への出馬断念を迫られることになりました。

 大統領選挙への出馬断念を表明した2ヵ月後の1968年5月、ジョンソン大統領は、主要な省庁や大統領直属機関に政権時代の組織としての歴史を報告書の形で提出するよう命じます。ジョンソン政権の政策の全貌を後世の歴史家が評価するためのエビデンスを残したいという意向があったのか、ジョンソン大統領の真意は不明ですが、「省庁史プロジェクト(Departmental Histories Project)」と名付けられたプロジェクトの発令を受け、各省庁は短期間で報告書を作成し、これらの報告書は現在、ジョンソン大統領図書館に収蔵されています。

 Archives Unboundが提供するアーカイブ「ジョンソン政権の歴史Johnson Presidency Administrative Histories」シリーズは、省庁の報告書のマイクロフィルム版Administrative Histories of the Lyndon B. Johnson Presidencyを電子化したもので、「経済、財政、貿易」、「外交と安全保障」、「保健、教育、福祉」、「労働と雇用」、「科学と技術」の5部構成です。

 

 ジョンソン政権の外交・安全保障政策はほとんどヴェトナム戦争のみで記憶されているほど、ヴェトナム戦争への対応に終始した感があります。ケネディの政策を継承し、ヴェトナムへの介入を続け、米軍駆逐艦が北ヴェトナムの魚雷艇の攻撃を受けたトンキン湾事件が発生すると、議会の決議によって、米軍への攻撃を撃退するのに必要なあらゆる措置を講じる権限を手にした大統領は、1965年の北爆を皮切りにヴェトナムへの介入をエスカレートさせます。投入された兵力は1965年の25,000人から1968年には536,000人に膨れ上がりました。しかし、多くの兵力を投入し、介入を深めたにも関わらず、戦線は必ずしも有利に展開せず、それどころか1968年には北ヴェトナム軍のテト攻勢を受け、サイゴンのアメリカ大使館が一時的に占拠されるという事態が発生します。アメリカ国内では反戦の機運が高まり、批判の矢面に立たされたジョンソン大統領は1968年の大統領選への出馬断念に追い込まれました。

 ジョンソン政権にはヴェトナム戦争の影が大きく落としていますが、ヴェトナム戦争以外にも、パナマ運河地帯の法的地位を定めたパナマ運河条約の改訂を巡る問題、ドミニカ共和国の内戦への介入、第三次中東戦争、フランスのNATO軍事機構からの脱退等、様々な対応を迫られました。

 本アーカイブは、ジョンソン政権の外交・安全保障政策を担った省庁や大統領直属機関の報告書を再録し、政権の外交・安全保障政策の全貌を関係機関の文書を通じて明らかにします。一連の外交・安全保障政策のプロセスが時系列の形で明らかにされるだけでなく、エビデンスとなる資料も収録されているため、ジョンソン政権の外交・安全保障政策を歴史的に評価する上で不可欠の文書集です。

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